ダイヤモンドの基礎知識

ダイヤモンドの価値を決める4つのC

  • Carat  カラット(重量)
    同じクオリティの場合、大きいほどダイヤモンドの評価は高いです。
  • Clarity クラリティ(透明性)
    ダイヤモンドの内部および表面の欠点の程度によって、透明性がFL、IF、VVS1、VVS2、VS1、VS2、SI1、SI2、I1、I2、I3など、様々な格付けができます。
    FL   IF10倍の拡大で無キズ
    10倍の拡大で微小な表面の欠点(IF)
    VVS1   VVS210倍の拡大で発見困難な微小の欠点
    VS1   VS210倍の拡大で発見が多少困難な欠点
    SI2   SI210倍の拡大で発見が用意、肉眼では困難
    I1  I2  I3肉眼で容易に発見できる
  • Color カラー(色)
    無色透明のダイヤモンドは最高レベルで、黄色味を帯びるに従って、D〜Zまで23段階に分類されます。
    D
    E
    F
    G
    H
    I
    J
    K
    L
    M
    N-R
    S-Z
    Colorless
    無色
    Never Colorless
    ほぼ無色
    Faint Yellow
    僅かな黄色味
    Very Light Yellow
    非常に薄い黄色
    Light Yellow
    薄い黄色
  • Cut カット(プロポーション)
    ダイヤモンドのカットグレードは、ダイヤモンドのファセットが光といかに良い相互作用を持つかを評価するものです。(エクセレント ベリーグッド グッド、フェア、プアーで評価されます。)

ダイヤモンドの歴史はデビアスの歴史

  • 古代、唯一のダイヤモンドの産地はインドでした。
  • 1730年代になって初めて、ブラジルが産地として登場しました。
  • ブラジル産のダイヤモンドは 1860 年代には早くも枯渇し始めました。
  • 1866 年南アフリカで新しい大鉱脈が発見されました。
  • 1870 年にわずか十万カラットであった生産は 1913年には六百万カラットへと増大し、急激な過剰生産はダイヤモンドの価格を非常に不安定なものにしました。
  • ダイヤモンドの暴落を懸念したのがセシル・ローズ氏でした。
  • セシル・ローズは 1881 年にロスチャイルド (ユダヤ系)資本の後ろだてでデビアス鉱山会社 De Beers Consolidated Mines を設立、1988 年には当時最大のライバルであったキンバリー鉱山を合併しました。 その後、ウェッセルトン、ヤーガースフォンテインなど、現在でも生産を続けている鉱山群を買収し続けました。 ローズの率いるデビアス社は十九世紀末には、当時知られていた生産地の九割以上を支配するようになりました。
  • ローズが死去した 1902 年にはプレミア Premier 鉱山が発見されました。この巨大な鉱山はデビアス支配下の全鉱山の生産量と同じダイヤモンドを産出しました。 さらに 1908 年には現在のナミビア、当時の独領南西アフリカで、巨大な漂砂鉱床が発見されました。こうしてデビアス社自身の生産支配は大きく低下して二十世紀初めにはわずか40パーセントに落込みました。
  • その後デビアス社の会長になったドイツ系のユダヤ人オッペンハイマーは、他に類を見ない独創的でかつ精密な機構を作り上げました。
  • 第一に、ダイヤモンド・プロデューサー・アソシエイション Diamond Producers Association(ダイヤモンド生産者組合( DPA ))と呼ばれる生産者連合を作り、生産調整を行わせました。
  • 第二に、その生産物を一括して買い上げ、分類作業を行うダイヤモンド・トレーディング社 Diamond Trading Co.(ダイヤモンド貿易会社( DTC )を設立しました。
  • 第三に、それらのダイヤモンドを一手に販売するセントラル・セリング・オーガニゼイションCentral Selling Organisation(中央販売機構( CSO )という機構を作り上げました。
    こうした組織は今日でも基本的には同じです。 このシステムにより、デビアス社は生産調整を行うと同時に、生産実績に応じて販売内容と価格を決定、得た利益をプールすることで、生産調整に不可欠な買い入れ資金を得るという巧妙な循環システムを作り上げました。
  • 1978年頃に、イスラエルのダイヤモンド産業が発展し、デビアスの市場を脅かすようになりました。イスラエルとデビアス社の争いが起きました。その結果、ダイヤモンド原石は供給過剰になり、デビアス社によるダイヤモンド市場のコントロールが利かなくなり、一時的に暴落しました。
  • 1982年頃から、原石の買い付けはデビアス社、研磨加工はイスラエルという住み分けが進んでダイヤモンド産業は以前の活況を呈するようになってきています。
  • 近年になってロシアやオーストラリアでダイヤモンドが生産されるようになると、これらの国に対して、デビアス社の支配力が弱くなり、そのシェアは約5割まで落ち込んできています。しかし、デビアス社が作り上げた仕組みは、今でも続き、ダイヤモンドの価値は高く維持されています。それは、デビアス社の戦略がダイヤモンドという製品の販売には極めて有効であったことを意味しています。